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栄養学の歴史【日本編】

1907年に石塚左玄が食養会を設立して、国民の栄養・食事の改善に心血を注ぎました。

天皇家は食養学に基づいて献立が考えられていることもあり、その活躍は明治天皇の耳に届くまでになっていきました。

明治時代以前までは、中国の医書「脾胃論」の中でつかわれる『営食養生』「食を営めば、生は養われる」の「営養」という表記が多く用いられました。

もとは栄養素に富んだ状態を「滋養がある」と表現していましたが、戦後の漢字制限によってこの語を学校教育で学ぶ機会がなくなり、代わりに「栄養がある」・「営養がある」という表現が一般化しました。

1918(大正7)年頃、栄養学の創始者である佐伯矩医師により「栄養」に統一するように提言され、教科書や政府の刊行物の『営養』と表記が『栄養』に統一されました。当時、完全食や偏食といった言葉も作り出しました。

佐伯が少年時代育った愛媛県伊予郡郡中町(現伊予市)の「栄養寺」には佐伯の「栄養」の書と「栄養」顕彰碑が建立されています。

1920(大正9)年、佐伯(初代所長)による世界初の栄養研究所(現在の国立健康・栄養研究所)が設立するための寄付を募った際、石塚の功績を知っていた明治天皇が「そういう研究所があってもいいのでは」と述べたことから、寄付金が集まったといわれています。

しかし、同研究所は天皇家の食養学とは異なり、明治天皇も好きではない洋食を奨励し、食養とも結びつきませんでした。

1924(大正13)年、佐伯は私費を投じて栄養学校を設立しました。

翌年入学した第一期生は、1年間の学業を修め、佐伯によってつけられた世界初「栄養士」という呼称で世に出ました。

1933(昭和8)年、香川綾の家庭食養研究会ができ、1939(昭和14)年に香川女子栄養学園となりました。

1934年には日本医学会の分科会として、栄養学会が正式に独立を認められ、1937年(昭和12年)桜沢如一が会長となり、月刊誌は購読者が1万人いました。

桜沢如一は、食養生を世界に広め、その著書は世界十数か国語に翻訳され、フランスでは「西欧人を救う東洋人」とマスコミなどで紹介されています。

同年、国際連盟主催の国際衛生会議において、参加各国が国家事業として栄養研究所を設立し、栄養士の育成を行い、分搗きの米を用いることの決議がなされました。佐伯が、国連へビタミンの国際単位の提案をしました。

1947年、栄養士法ができ、上記の栄養学校、食糧学校、女子栄養学園で栄養学を学んだものに与えられていた栄養士という称号が公的なものとなりました。

1950年には、『初訂日本食品標準成分表』(食品数538)が公表されました。

桜沢如一さんの弟子にあたる久司道夫は、アメリカでオーガニックという言葉を広め、食養生を説きました。

その功績が認められ1999年スミソニアン博物館に殿堂入りされました。マクロビオテックを歴代大統領やマドンナ、トムクルーズ、ナオミキャンベル、坂本龍一さんなどがされていることで有名です。

これら全てが世界の最先端をいっていました。

ビタミンを初めて発見したのも日本人です。

その結果の現れの1つが、寿命・健康寿命いずれもが世界一で、日本の栄養学・日本食の優越性を物語っています。

それにもかかわらず日本における現代の栄養学は、欧米追随・模倣型の『西洋栄養学』が中心です。

 


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